SINUSOID COLUMNS
花の都フィレンツェに酔う:
        16th ISHSRに参加して
富山大学第三内科
高原照美
 2011年9月22-24日に第16回肝類洞壁細胞国際シンポジウムがイタリアのフィレンツェで開催された。 今回はフィレンツェ大学のMassimo Pinzani教授が会長であったが、2010年のパサデナでの第15回(塚本秀和教授会長)と連続しての変則的な開催となった。 全体でxx名の参加者であったが、日本からは私を含めXX名という大勢の参加があった。

 随所に主催者の意気込みと参加者に対する細やかな気配りを感じた。 本シンポジウムは前回から大きく様変わりしたようで、肝類洞壁細胞中心の会から、主体を肝臓の幅広い病態を対象として 肝類洞壁細胞からアプローチしようとする新たな取り組みを感じた。 また研究手法も幅広く、分子生物学、最新の遺伝学、メタボロミクスから形態までと非常に広汎であった。 本年は3日間で8つのテーマに沿ってセッションが組まれた。 それぞれのセッションの最初と途中に専門家によるレクチャーがありそれに関連する口演発表が同時にあてられた。 1日目、3日目にはState of the Art Lecture、Tutorial Lectureがあり教育的、学際的な構成になっており、 これからの本学会の方向性を示していた。大阪市大の河田則文次期会長がmicroRNAについてTutorial Lectureをされ大変感激した。 またSelected Poster Overviewもあり忙しい出席者が発表の要点を聞ける良い機会であった。口演は23題、ポスターが59題、あわせて82題の演題であった。

 本会は小規模ながら勉強熱心な先生方が多く基礎、臨床の先生が一堂に会し、家庭的な雰囲気がある。 私も英国のDerek Mann先生など旧交を温め楽しい時を過ごさせていただいた。 今回は1656年に建てられた歴史的建造物Pergola 劇場で行なわれ、 1日目の夜にはその劇場で弦楽四重奏が生演奏され世界で始めてのボックス席を持つオペラ劇場の雰囲気を味わった。 そのあとみなで舞台見学、そしてレセプションが開催された。 主催者・教室の方の紹介、そして誕生パーティーもありアットホームな雰囲気が大変良かった。 また2日目には旧市内を歩く半日のexcursionも組まれ、勉強も観光も楽しめるようになっていた。 最終日には若くして亡くなられたフィレンツエ大学のMarcos Foschi の名をつけた賞が消化器癌の研究者に贈られることになっていたが、 河田先生の下で研究されているLe Thi Than Thuy先生(ベトナム留学生)が見事その賞を受けられた。 彼女の発表はCytoglobin ノックアウトマウスの発癌についてであったが内容もすばらしく受け答えも実に堂々としており受賞されて当然と思ったが、 賞を受けた後の挨拶もすばらしいものであった。若い海外の留学生がこのような賞をきっかけにさらに羽ばたく事と期待したい。 最後にPinzani先生からご挨拶があったが東日本大震災にもかかわらず多くの日本人が出席し、演題数も最大であった事に感謝が述べられ、 次は大阪で会いましょうとのメッセージが述べられて第16回は盛会裏に終了した。

 今回の私の参加目的はやはりなんと言っても花の都フィレンツエに是非一度行ってみたい、という不純な動機であった。 すこしでも皆様にそのすばらしさをお伝えしたく少し街の様子をお伝えする。 この中世の都はメディチ家が領主として統治した時代(全盛期は1430年〜1600年)にミケランジェロ、 ラファエロをはじめ数多くの芸術家がメディチ家に保護されこの地に芸術品を残しており、 いわゆるルネッサンスの華が開いた都である。屋根はどこも赤瓦で統一され、 クーポラが象徴のサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(通称花のドウオーモ)が市の中心に位置している。 白、緑、ピンク3色の繊細で緻密な石組みの大理石で覆われた美しいドウオーモはそれ自体がすばらしい芸術品で見飽きる事がない。 サン・ロレンツオ教会、メディチ家礼拝堂、サンタ・クローチェ教会、サンタ・マリア・ノベッラ教会などの教会、 またピッティ宮殿、ヴェッキオ宮殿、そしてウフィツィ美術館、アカデミア美術館、、、、 どれもすばらしくルネッサンスの文化に圧倒され酔ったた数日間であった。 最初に行ったアカデミア美術館は有名なミケランジェロの大理石のダヴィデ像があり、 正面から見るハンサムな顔は見慣れていたが横から見るとなんとなく違和感を覚えてしまったが、実物を見られた他の先生の感想はいかがでしょうか? ウフィツィ美術館内には膨大な美術品が飾られていた。かの有名なボッティチェリの「春」、 「ヴィーナスの誕生」をはじめラファエロの「ひわの聖母」、マルティーニの「受胎告知」等々、、、 教科書でしか見たことのない芸術の宝庫であった。どこを歩いても旅行者ばかりであったが治安もよく、 こじんまりとした市内はどこにも歩いてもいける距離で、また大体英語も通じ一人で歩いていてもあまり不自由はなかった。 また、何を食べてもおいしい料理に出会えたのもイタリアならでは、と感じた。 旅行記が長くて学会見聞とはかなりかけ離れてしまいましたが大いに芸術に酔った楽しい学会でした。 最後に、ご一緒させていただいた松浦先生、ありがとうございました。