今日では肝臓の研究者で「肝類洞壁細胞」の名称を知らない人はいないでしょう。
以前には「非実質細胞」がおもに生化学者の間で用いられてきました。替わって‘sinusoidal cells’が登場するのは1980年以降です。
現在の国際肝類洞壁細胞シンポジウムの前身Kupffer Cell Symposiumが、 Int. Symposium on Cells of the Hepatic Sinusoid に改名されたのもその頃のことです。
それによって非実質細胞の戸籍が明瞭になり、ひとかどの細胞として認知されるようになりました。 以後類洞壁細胞の研究は飛躍的に発展しました。
ところで‘sinusoidal cells’を直訳すれば、「類洞細胞」になりますが、それを敢えて「類洞壁細胞」としたのはどうしてでしょうか。
本邦では谷川久一先生のお世話で「肝類洞壁細胞研究会」が1987年に設立され,毎年久留米で忘年会を兼ねて開催されるようになりました。
その2、3回目の会だったでしょうか、懇親会の席で、研究会発足以来顧問であられた新潟大学名誉教授の市田文弘先生を数人が囲んでお話を傾聴していました。その時先生は、「わしは肝類洞壁細胞の壁が好きなんじゃ。壁というのがどうも好きなんじゃよ」とおっしゃいました。さすがに病理学から肝臓内科学へ進まれた先生です。
確かに「類洞細胞」より「類洞壁細胞」の方が実状に即しています。 樹状細胞もPit cellも類洞腔内に浮遊しているのではなく、少なくとも一時期、
類洞内皮に接着して類洞壁の構成に参画する細胞です。
その用語は、漠然とした非実質細胞を部位によって仕分けしたに留まらず、ひとつの概念を私たちの思考の中に植え付けました。 類洞壁細胞とは、肝内血流と実質細胞の間に介在し、複雑なサイトカインネットワークで互いに結ばれて実質を制御する細胞共同体cell-complexです。
最後に、現行の日本解剖学用語集では、‘sinusoid’に「洞様毛細血管」と「類洞」の二つが併記されています。私たちには「類洞」の方がなじみやすいのですが、
教科書のなかには「洞様毛細血管」を採用しているものもあります。それには肝臓の類洞が古くから「肝小葉内毛細血管」と呼ばれてきた経緯もあるでしょう。 ドイツ語圏とその影響下にあった本邦では、’sinusoid’ が採用されたのは実は戦後になってからでした。
’Sinusoid’ (sinus 洞に類するもの,似たものの意味)という新しい用語を造って、
毛細血管とは厳密に分離したのは、ボストンのC. S. Minot (1900)
註)①)、です。
また線維化に際して類洞が毛細血管様に変化する現象は‘capillarization’ (毛細血管化)と呼ばれています②)。
類洞内皮は毛細血管内皮とは遺伝子的に違っているという報告③)もあります。 「類洞を特殊な毛細血管とするか、
あるいは別種の血管系とするか」はなお議論を要するように思われます。
それはさておき、「肝洞様毛細血管壁細細胞研究会」では舌を噛むこと請け合いでしょう。
註)Charles Sedgwick Minot (1852-1914) はMITで学んだ後、ハーヴァート医学校の
生理学研究員になる。
ヨーロッパ留学後に講師に、ついで解剖学教授となり、
おもに発生学と米国における医学教育の向上に貢献した。自動回転式ミクロトームの
考案者。
文献
① Minot C S (1900) On a hitherto unrecognized form of blood circulation without
capillaries in the organ of vertebrata.
Proc. Boston Soc.
Natural History. 29 : 185-215.
② Schaffner F et al. (1963) Hepatic mesenchymal cell reaction in liver disease.
Exp. Mol. Pathol. 2 : 419-441
③ Gerauid C et al. (2010) Liver sinusoidal endothelium: A microenvironment-
dependent differentiation program
in rat including the novel junctional protein
liver endothelial differentiation protein-1. Hepatology 52 : 313-336.